移動できること、集まれることの価値

ここ数ヶ月、わたしたちは拡大する新型コロナウィルスのせいで、生活をいちじるしく制限され、気軽に移動することや友人などと集まることさえままならない毎日を過ごしている。

香港での民主化要求のデモが最近まで報道でとりあげられていたように、人々が移動し集まってコミュニケーションをとることは、ついこのあいだまでは(民主制という文脈においてはとくに)価値であったはずだ。しかし、いま、人と人とがコミュニケーションをとるために移動したり集まったりすること、それ自体がリスクだと考えられている。

ほんの数か月のあいだに、これほどの価値の転換をもたらすほど、新型コロナウィルスがわたしたちに与えた影響は大きかったし、いまなお大きくなり続けている。

たしかに、通信のインフラが整い、ソフトやアプリも充実してきた。企業などでは、これを機にオンライン上で仕事をこなしていくテレワークの動きが急速に広がっている。

しかし、オンラインで代替される多くの仕事は、定型的な業務が中心とならざるをえないし、これは近い将来AIなどによって簡略化・自動化されていくかもしれない。大切なのは、創造的な仕事やビジネスがテレワークのみで成り立つか、である。

いくつかの会議ソフトをつかって、オンライン上で議論をしてみた。だが、いまだ対面による臨場感には程遠いという印象だ。人と人との創造的なコミュニケーションにおいて、移動できること、集まれることは極めて重要で、それは「社会的動物」とされる人間にとってなにか根源的な要素に触れる価値と関係があるのかもしれない。

技術によってコミュニケーションや通信は大いに発展していくだろうが、それらの価値と移動すること、集まれることの価値は代替できないのではないかと思う。